体験を語る
- 医療機関
設備が損傷し、人手も限られる中での入所者対応

| 場所 | 能登町 |
|---|---|
| 聞き取り日 | 2025年9月15日 |
震災発生時の施設の状況と対応
聞き手
運営されている施設の概要を教えてください。
野村さん
医療法人社団として、病院、クリニック、グループホームなどの医療福祉施設を運営しています。震災当時、私は柳田温泉病院(療養型病床36床)と併設の介護医療院(144床)の事務長をしていました。合わせて180床の入院・入所施設でした。
聞き手
地震発生直後の施設の状況と対応について教えてください。
野村さん
地震は1月1日の午後4時10分頃に発生しました。私も正月で公休であったように勤務職員が少なめの中、入所者は介護医療院が109名、療養病床が34名の計143名でした。建物は4階建てで、2階から4階の介護医療院の病床は揺れがひどく、スプリンクラーが誤作動し水が溢れる状況でした。
聞き手
入所者の避難はどのように行われたのですか。
野村さん
幸い、入所者・職員ともに負傷者はいませんでした。しかし、2~4階はスプリンクラーが作動してしまったこともあって、安全が確保できないため、職員の判断ですぐに、皆さんを1階へ降ろすことになりました。
震度4以上でエレベーターが停止し、建物が歪んで内階段の防火扉も開かず、職員はガラスを割って外階段から、自力で動けない患者さん109名全員を1階まで降ろしました。夜中の1時までかかり、1階のリハビリ訓練室やデイサービススペースにマットレスや布団を敷き、スペースを確保して休んでいただきました。1階の療養病床の患者さん(34名)は病室で待機できました。
聞き手
避難された患者さんの容態はどのような方が多かったですか。
野村さん
ほとんどが寝たきり、または車椅子がないと移動できない方々でした。要介護4・5の方が多く、食事も自力でできないため、職員が抱きかかえて食事介助をする必要がありました。トイレやおむつ交換といった衛生面の対応も大変でした。
聞き手
地震後、ライフラインの復旧状況はどうでしたか。
野村さん
発生当初は電気、水道などのライフラインは全て停止していました。2日の日に電気は復旧しましたが、水道は水が出ない状態が続き、浄化槽の配管も寸断され、浄化槽自体も倒壊しています。電気復旧後、酸素濃縮器などの医療機器は使えるようになりました。
聞き手
病院への給水はいつ頃から、どのように行われましたか。
野村さん
発災から4日目くらいで、給水車が病院にも定期的に来ていただけるようになり、給水は何とか賄えるようになりました。
聞き手
支援物資の状況はどうでしたか。
野村さん
支援物資は施設宛てに来るものがありましたが、希望するものが届かないという課題がありました。職員の方にとってはカップラーメンやレトルト食品、缶詰などが良いのですが、高齢の入居者さんには難しいため、軟らかい食品を希望していました。
聞き手
支援物資の要請や受け取りで、特にどのような問題がありましたか。
野村さん
DMATや町・県を通して支援物資を要請しましたが、意図がうまく伝わらず、希望するものが入ってこなかったり、どこに来たのか分からなかったりしました。物資は近くの柳田村の体育館に集められていましたが、病院が取りに行っても、他の施設が必要なものを先に持っていってしまうことがあり、必要なものがうまく手に入りませんでした。特に冬の寒い時期だったため、暖房器具、体を拭くもの、ドライシャンプーなどを希望していましたが、なかなか届かなかったです。
聞き手
物資の到着に関する情報共有はどうでしたか。
野村さん
病院側は、物資が届いたら連絡が欲しいとお願いしましたが、「送りました」という連絡だけで、いつ、どこに届いたかを病院側が確認する形でしかできませんでした。
患者さんの転院と病院の再建について
聞き手
患者さんの転院はどのように進められましたか。
野村さん
1階に集めた患者さんの衛生面・プライバシーの確保が困難な状況を鑑み、1月2日の夕方に到着した法人の理事長がDMATと相談し、安全な場所への転院を決定しました。
介護医療院の109名は、1月5日から8日の4日間で、陸送(石川県内、金沢以南)とヘリ(富山・福井の空港)で全員が転院しました。まずは安全で安心できるところに移っていただくことを優先したので、どこの病院に転院したかなどのリストに関しては、後から届くようなこともありました。
療養型病床の34名に関しては、配管や浄化槽の寸断といった建物の損傷状況から回復が困難と判断し、1月18日に転院を決定、19日の1日で完了しました。
安全優先のため、特に介護医療院の転院では、家族への連絡が事後報告になったケースも多くありました。
聞き手
職員の皆さんの雇用は維持されたのでしょうか。
野村さん
理事長は15日の日に来られるだけの職員を集めて、「必ずこの病院を再建する」と職員に伝え、残務的な業務を行う事務スタッフを除き、現場の看護師・介護スタッフは1月末時点で休職という形をとりました。休職者には、災害特例として失業給付を在職したまま受け取れる手続きを全員に行い、収入が途絶えないようにしています。
聞き手
病院の再建計画について教えてください。
野村さん
建物は全壊判定となり建て直しが必要です。再建には年単位の期間が必要となるため、周辺の医療機関との調整の結果、宇出津総合病院の一部(5階フロア)を借りて介護医療院(43床)を再開する運びとなりました。これは、職員の復職と戻りたい患者さんの受け入れ先を確保するためです。
準備期間を経て、7月1日から再開できました。もともとの病院も、令和9年(2027年)4月以降の再建計画を進めています。
聞き手
再建に向けた補助金はどのように活用されていますか。
野村さん
病院と介護医療院が一体の施設だったため、厚生労働省の管轄内で医療と介護の補助金申請を分ける必要がありました。
介護医療院部分は、災害復旧の補助率が5/6と高いため、これを優先的に活用します。医療に関しては、補助率が低い(民間で1/2)ため、厚生労働省ではなく経済産業省の「生業再建支援補助金」(補助率3/4)と組み合わせて申請する方向で調整しています。
また、震災で出なくなった温泉の採掘費用についても、生業再建支援補助金の対象となりました。温泉は、この地区の「復興の目印」として重要だと考えています。
震災から得られた教訓と今後の課題
聞き手
震災を経験されて、今後の防災や教訓についてのお考えをお聞かせください。
野村さん
BCP(事業継続計画)は作っていましたが、今回の火災報知器の誤作動や、地震による防火扉や電気錠の故障で、内階段が使えなくなる事態は想定外でした。BCPをより具体的にしつつ、「マニュアルに書いてないことはできない」とならないよう、臨機応変な対応力を職員に周知・訓練していく必要があります。
非常食や入所者様用の備蓄、特に水が止まることへの対策が重要だと再認識しました。自家発電機の燃料切れにも対応できるよう、燃料タンクの増設なども検討しています。
補助制度も「今あったものと同じものを作る」という前提があるため、非常用水槽など、新たな備えのための設備が補助対象外となる場合があるのは課題だと感じています。
聞き手
再建に向けて、特に課題だと感じていることは何ですか。
野村さん
再建した際に、職員を確保できるかが最大の懸念事項です。この地区に留まっていただける方が少ないため、全国の自治体やネットワークと協力し、1年や2年といった期間限定でも、医療・介護の専門職に出向や就職で支援に来ていただける仕組みを作りたいと考えています。
高齢者施設での介護は、経験よりも「お世話をする気持ち」やコミュニケーション能力が重要であり、やる気のある若い方にも来ていただきたいです。
聞き手
柳田温泉病院のような医療に特化した高齢者施設の必要性について、どうお考えですか。
野村さん
奥能登地区において、この規模で長期入院ができ、医師が常駐する医療機関は他にありませんでした。高齢化が進む中で、ご家族が安心して預けられる、24時間医師・看護師がいる施設は大変必要とされています。ここが再建しないと、さらに人口流出が進む可能性もあり、地域にとって必要不可欠な医療機関だと考えています。

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避難所・避難生活
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「様々な方の助けを受け、避難所運営という重責を担った」
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輪島市復興推進課(当時)
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消防
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「道路の損壊をはじめ、過酷な状況で困難を極めた救助活動」 -
七尾消防署 署長補佐
酒井晋二郎さん
「不安や課題に直面しながらも、消防職員として全力で責任を果たした」 -
輪島消防署(当時)
竹原拓馬さん
「消火活動・救助活動の経験から職員一人ひとりの技術向上を目指す」 -
珠洲消防署 大谷分署 宮元貴司さん
「拠点が使えない中、避難所の運営にも協力しながら活動を実施」 -
珠洲市日置分団長 金瀬戸剛さん
「連絡を取り合えない中で、それぞれができる活動をした」 -
珠洲市三崎分団長 青坂一夫さん
「地区が孤立し、連絡も取りづらい中で消防団活動に苦心」 -
珠洲市消防団鵜飼分団長 高重幸さん
「道路の寸断など厳しい環境の中、救助活動に尽力」 - 珠洲消防署 中野透さん、源剛ーさん 「殺到する救助要請への対応と緊急援助隊の存在」
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珠洲市若山消防団長
森定良介さん
「救助活動や避難所運営での苦労や課題、
災害への備えの重要性を再認識」 -
能登町消防団副団長
金七祐太郎さん
「災害に備えて、「自分の命を守る力」を持つことの重要性を痛感」
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七尾消防署 署長補佐
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警察
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医療機関
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(七尾市)公立能登総合病院 診療部長
山端潤也さん
「令和6年能登半島地震の経験 ~過去の災害に学び 活かし 伝え 遺す~」 -
輪島病院事務部長(当時)
河崎国幸さん
「災害対応と病院の今後の地震対応にかかるBCP」 -
珠洲市健康増進センター所長
三上豊子さん
「支援団体と協力し、全世帯の状況把握や、
生活支援を実施して」 -
珠洲市総合病院
内科医長・出島彰宏さん、副総看護師長・舟木優子さん、薬剤師・中野貴義さん
「2人で立ち上げた災害対策本部と過酷な業務」 -
志賀町立富来病院 看護師・川村悠子さん、事務長・笠原雅徳さん
「物資だけでは解決しない~災害時のトイレに必要な「マンパワー」と「経験」~」 -
(能登町)小木クリニック院長
瀬島照弘さん
「能登半島地震における医療対応と教訓」 -
(能登町)升谷医院 院長
升谷一宏さん
「過酷な環境下で診療にあたり、多くの方の健康を支えた」 -
柳田温泉病院事務局長
野村清一さん
「設備が損傷し、人手も限られる中での入所者対応」
-
(七尾市)公立能登総合病院 診療部長
-
教育・学校
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七尾市立天神山小学校長(当時)
種谷多聞さん
「今こそ、真の生きる力の育成を!~能登半島地震から 学校がすべきこと~」 -
珠洲市飯田高校2年生
畠田煌心さん
「ビニールハウスでの避難生活、
制限された学校生活、そんな被災体験を未来へ」 -
珠洲市宝立小中学校5年生
米沢美紀さん
「避難所生活を体験して」 -
珠洲市立緑丘中学校3年生
出村莉瑚さん
「避難所の運営を手伝って」 -
志賀小学校 校長・前田倍成さん、教頭・中越眞澄さん、教諭(当時)・岡山佳代さん、教諭・野村理恵さん、教諭・側垣宣生さん、町講師(当時)・毛利佳寿美さん
「みなし避難所となった志賀小学校」 -
能登町立柳田小学校長
坂口浩二さん
「日頃からの地域のつながりが、避難所運営の土台に」
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七尾市立天神山小学校長(当時)
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企業・団体
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ボランティア
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関係機関が作成した体験記録

