体験を語る
- 消防
避難者の皆さんの協力と緊急消防援助隊の応援のおかげで、消防としての災害対応に尽力できた

| 場所 | 穴水町 |
|---|---|
| 聞き取り日 | 2025年9月20日 |
地震発生直後の状況
聞き手
ご自身がどのような状況で被災されたか、お伺いしたいです。
吉岡さん
自分は穴水消防署に勤務していて、その日はちょうど勤務日でした。
16時6分でしたか、最初の地震がありまして、地震が発生したときの手順として、消防車両を全部前に出しました。震度4以上になると職員が全員自主参集してきますので、集まり次第、箇所を振り分けて、現場の状況を確認しに行こうかという話をしていました。
その次に、あの一番大きい16時10分の地震がありまして、最初は事務所の中にいたんですが、すぐ外に出て、揺れがおさまるまで、外で待機していました。
聞き手
穴水消防署には、全部で何名いらっしゃったのでしょうか。
吉岡さん
そのときは全部で22名です。当日は7名勤務で対応していました。
聞き手
2回目の大きい地震があった後、どのように活動を始めたのでしょうか。
吉岡さん
大きい地震があった時に、周りが結構揺れていたので、周辺の状況を確認していました。山手側の方は木が折れるようなバキバキという音と土砂の崩れる音がしました。
消防署は平野という場所にありまして、役場や駅前の周辺がちょっと遠くに見えるんです。その周辺のところから黄色い土煙といいますか、家屋が倒壊した時に出る煙がいくつか見えました。また、平野地区の住宅がいくつか倒壊して行くのを目の当たりにしまして、これはかなり甚大な被害が出るなというのは直感しておりました。
少し揺れがおさまった後に、現場を確認しに行かなければと思いましたので、職員2名を住民が1番多い川島という地区の巡回にあたらせました。
巡回に行っている間に、平野地区の住民の方や、たまたま車で通りかかった一般市民の方が、消防署にいっぺんに避難してきました。
集まった人に話を聞くと、穴水町の川島・大町地区へ行く途中で土砂災害があって通れなかったという方と、のと里山海道も、珠洲・輪島へ行く道もすべて寸断されてどこも通れなくて、穴水消防署に来たという方がいっぱいおられました。
その時は100人ほどが一度に集まりました。なので、消防署にいた残りの5人で、情報収集と、皆さんに怪我や病気が無いかを確認しました。また、安全確保のため「広い駐車場の真ん中ぐらいにみなさん集まって待機してください」というふうに呼びかけていました。
聞き手
情報収集はどのような方法でされたのでしょうか。
吉岡さん
ひとりひとりに「怪我がある方はこちらに来てください」「どんな状況でしたか」ということを聞きながら、「道が通れなかったところはどこですか」という情報を確認しました。
聞き手
その後の対応はどうされましたか。
吉岡さん
現場を確認しに行ったポンプ隊の職員から「土砂災害で道路が通れなくて戻ってきた」という報告があって、徒歩でなら行けるということだったので、駅のほうまで歩きで行ってもらいました。駅の付近に穴水分団があるので、そこの車両をお借りして、町内を巡回し、現場の確認をしました。
また、町外の方ですが、消防署へ駈け込んで来られ、「倒壊家屋の下敷きになって、救出したけど、病院に連れていこうにも、道路が寸断されていてどこにも行けません」という方が2名おられた。うちの消防の救急隊員が処置をして、先ほどの分団の車両を借りた職員がそこまで行き、徒手搬送をして、ポンプ車で病院に運びました。
聞き手
2名の処置はどのようなものでしょうか。
吉岡さん
止血と、打撲や骨折があったので被覆するなどの応急処置をして、病院に連れていった形になります。時系列で見ると、1人目が19時、2人目が20時に救急処置をしました。
聞き手
消防団の車両の貸し出しは、もともと決まっていたのでしょうか。
吉岡さん
緊急のことで、車両の場所も分かっていたので使ったということです。分団長さんに、借りるという話はしてあって、鍵のある場所も分かっていましたので、使うことができました。
避難者対応について
吉岡さん
一般市民の皆さん方が消防署にいっぱい集まり、帰すわけにいかないので、避難場所にするという話になりました。
しかし、穴水消防署に、100人分の物資もなく、どうしようかと考えていたところに、「コメリ」や「どんたく」といった、近くのスーパーの店員さんも避難していまして、「自分らの店にある物資を使っていいです」と言っていただきました。それで、避難してきた一般の方と協力して、物資の搬送を実施しました。
今度は避難民の誘導をどうしようかという話になったんですけど、なかなか職員も集まらなかったんです。震災があって1時間以内に集まったのは3名でした。1日後に全員集まってくるまで、9名しか集まらなくて、16名の職員で対応していたんですね。なかなかその100名をさばくのも難しかったので、避難されてきた方に協力してもらって、名簿の作成や物資の配布なども全部手伝っていただきました。
聞き手
どのようにして避難者の役割を分担しましたか。
吉岡さん
分担はさすがに難しくて、平野地区の保育士さんや看護師さんが避難しておられましたので、その方に協力いただきました。「名簿を作成してください」「怪我ある人がいないか確認してください」という話をしました。たまたま、自分の同級生が避難してきていたので、その人に「物資の配布などの担当を決めてほしい」とお願いしました。
夜9時ぐらいになってくると、そのまま外にいても寒いですし、災害弱者といわれる、小さい子どもや老人、病気を持っている方がいましたので、そこまで大きい部屋ではないですが、消防署の2階の研修室を解放して、災害弱者の方を上げました。残りの方は、車で来られている方は車で待機していただいたのと、防災テントを立てて、そちらに待機していただくようにしました。
聞き手
防災テントにはどれぐらいの人数が入ったのですか。
吉岡さん
ただ座っているだけでしたら、30人ほど入れるんですけど、やっぱり横になりたいとか色々あるので、そこまでの人数は少し難しかったかと思います。車の中に待機している方のほうが多かったと思います。
聞き手
最初、100人ぐらい人がいるときはどんな状況だったのですか。
吉岡さん
100人ほど集まりましたが、車の中にいる方もいたので、場所的にはそこまでぎゅうぎゅうに詰められたということは無かったです。 食事はカップラーメンのブースやご飯のブースなど全部管理する人がいました。配布して足りなくなったら、スーパーのほうにまたお願いしていました。
聞き手
一般住民の方はいつまで避難されていたのでしょうか。
吉岡さん
消防署の2階は本来の避難場所ではなく、あくまでも緊急的な避難場所で、物資もあまりなかったんですけど、最終的に1月の終わりぐらいまでは、住民の方がおられました。その頃になったら10名ほどにはなっていました。
聞き手
避難者がいなくなるまで、支援としてどのようなことを行ったのでしょうか。
吉岡さん
職員が集まって落ち着いてきたので、避難者対応にも職員を割り振り、物資の搬送や管理補助などに対応していました。
聞き手
困ったことはありましたか。
吉岡さん
職務は消防活動がメインになりますので、避難者の方中心に活動していくのはなかなか難しかったので、避難者の皆さんに協力していただきました。
「私は物資の役割をします」「私は名簿とります」「私は体調管理します」というのを分担してやっていましたし、寝る場所も「自分の家族はこのグループに分けます」というふうにすみわけをしていたので、生活環境はよかったのかなと思います。
ただ、やっぱり長いこといるとストレスも溜まりますので、ちょっとした小競り合いなどはありました。その時は呼ばれることもあったんですが、そういうときは、お互いの話を聞きながら「ストレス溜まるよね」って話をしながら、なんとか対応しました。
聞き手
避難生活の場では、パーテーションや仕切りはあったんですか。
吉岡さん
小さい子どももいましたので、小さいテントみたいなものを立てて、そこで授乳できるようにはしましたが、基本的に、段ボールなどもなくて、本当にただフロアで休んでいるみたいな感じで、プライバシーはちょっと保たれてないとは感じていました。
聞き手
ほかに物資で困ったことがあれば詳しくお伺いしたいです。
吉岡さん
水の関係ですね。水道が寸断されて、トイレも水が出ない状況になっていました。防火水槽から水を汲んで、トイレを流すのに使っていたんですけど、それも限度がありますので、川から水を汲みまして、防火水槽に入れました。
飲み水はさすがに支給されて、ペットボトルの水はあったんですけども、手洗い程度の水は山水で確保しました。
聞き手
冬でしたが、感染症は発生しましたか。
吉岡さん
幸い、穴水消防署の避難所ではなかったんですけども、他の避難所でコロナの発生があり、蔓延して、救急活動が苦慮したということはありました。
聞き手
今回、一般の方が消防署に避難することがありましたが、そのことで何か感じたことはありますか。
吉岡さん
公的機関が皆さん全体を助けることはなかなか難しいです。自助・共助が大切になると思いました。
今回消防署に避難してきた方は、みんな協力して行動してくれたので、消防士は災害の活動に集中して当たることができたのでよかったです。横のつながりは難しいですが、助け合いが活かされたなと思います。
消防としての活動
聞き手
その後の救助・救命活動はどのようなものがありましたか。
吉岡さん
実は、発災当日の消防の活動として、幸いにして火災は無く、救急においても先ほどの救急2件で、あとは避難されてきた方に「体調が悪くなったらすぐに連絡ください」と言って、逐一状況の確認はしていたんですが、幸いにも皆さん大丈夫でした。
ですが、土砂災害の対応をしなくてはならなかった。土砂をどけないことには、県内応援隊や緊急消防援助隊が到着できませんので、その土砂をどうしようかという話をしていました。
その時に、建設会社で働いている消防団の方がこちらへ来られた。たまたま、除雪のために大きい重機を待機させていたので、「重機を使って、土砂をどかしましょうか」という話をいただき、土砂の除去をお願いしました。
聞き手
土砂の除去は1月1日のうちにされたのでしょうか。
吉岡さん
そうですね。すぐに除去作業していただきました。ただ、重機1台で対応していましたので、すごく時間がかかりまして、最終的に全部除去できたのが23時37分です。土砂を除去して、車が通れる状況になりました。
聞き手
その後、他の消防隊の方はどのように支援に来られましたか。
吉岡さん
1月2日の夜中の1時6分頃に、金沢市の消防隊の方が先遣隊として穴水消防署に来られ、こちらが得た情報を共有して、活動方針を決めていきました。 本来、県内の応援隊や緊急消防援助隊の方は、輪島市の消防本部に行くんですけども、道路が全部寸断されて、どこにも行けない状況になっていたので、奥能登管内では一番手前にある穴水消防署を指揮本部として設立し、活動したという形です。
聞き手
最初の先遣隊として金沢からは何名ぐらい来られたのでしょうか。
吉岡さん
その時は4名でした。そこで「土砂災害の被害はどうなっているか」「どこに倒壊家屋があって、行方不明になっている方は何人いるか」という情報を共有しました。役場にも状況を確認して、その情報もお伝えしたところです。
1月1日の23時には土砂が撤去されましたので、先遣隊が来られたんですけども、もし土砂が撤去されていなかったら、消防署に来られない状況だったので、その時は役場のほうに来ていたかもしれませんね。 先遣隊はあくまでも指揮をする方ですので、現場で活動するような車両では来てないです。その後、朝4時頃には、金沢や小松など県の消防ポンプ隊や救助隊が来られたので、一緒に救出に当たりました。
聞き手
救助の要請はどのくらいあったのでしょうか。
吉岡さん
穴水では、自分の把握しているところは4件でした。
聞き手
救出活動は穴水だけじゃなくて、ほかのところにも行ったのでしょうか。
吉岡さん
輪島市などからもありましたけど、土砂崩れや道路の寸断などでそこまで行けないので、とりあえず穴水消防署に集まった隊は穴水管内で対応していただきました。 門前経由のルートで来られた応援隊は、門前や輪島で活動したと聞いております。
聞き手
救出活動はどのように進められたのか、お伺いしたいです。
吉岡さん
自分は現場に行けていなくて、現場にいたのはうちの職員ですけども、アテンドとして働きました。応援隊の方が来られても、地理には明るくないので、職員がナビとして行っていました。重機を使う前に、倒壊家屋の屋根や柱を除去し、中に入れるような状況かを見ながら確認して、声が聞こえたら助けに行ったと聞いております。
聞き手
救助の内容で多かったのは、家屋倒壊でしょうか。
吉岡さん
うちでは家屋の倒壊が多かったです。実際に家屋の倒壊で救出があったのは2件になります。他は、自力で出てきて病院に行った方もいますし、地域の皆さんが協力して助けたという話も聞いております。
聞き手
本部を立ち上げるにあたって、地元の人と、外部から来た人の役割はどのようなものでしたか。
吉岡さん
基本的に自分たちは、受援というか、援助を受けるほうなので、率先して活動するということはありません。発災時の情報収集や活動は自分たちでするんですけど、指揮本部ができましたら、指揮権がそちらに移りますので、自分らはその補助という形で、現場に向かうためのルートを案内したり、役場や一般市民の方からのいろんな情報を収集してリストを作ったりということを実施していました。
聞き手
救出までどれぐらい時間がかかるのでしょうか。
吉岡さん
倒壊家屋の話になりますと、2日には、救出が終わっているんですけど、由比ヶ丘というところの土砂災害は結構時間がかかりまして、最終的に救出して終わるのに1月8日までかかっております。
聞き手
土砂災害への対応はどのように進めたのでしょうか。
吉岡さん
自衛隊と警察、消防の三者で、土砂の撤去と救出に当たりました。消防も重機を使いまして、家屋の状況確認しながら、あまり掘ってしまうと、今度は行方不明の方を傷つける可能性もありますので、ある程度土砂を取りましたら、今度は人間の手で土砂をよけるようにして、行方不明者の捜索にあたりました。
土砂の対応で一番大変なことは、どこに行方不明者がいるのか把握できない状況です。倒壊家屋がこの辺りにあるから、多分その下にいるだろうという予測を立てるんですけれども、なかなかいきなり重機を使うのは難しく、一つ一つ確認して、いないと判断してから重機を使ってどかすという作業をしていましたので、救出には時間がかかりました。
聞き手
行方不明者を知るための情報収集はどのようにされましたか。
吉岡さん
役場の災害対策本部から、行方不明者の名簿、倒壊して土砂に巻き込まれた家に誰が住んでいたか、どういう状況になったかという情報を基に、自衛隊や警察の方と情報を共有するという形でした。
聞き手
自衛隊や警察との役割分担や連携というのはありますか。
吉岡さん
捜索は、棒みたいなのを差して、手応えがないか調べるんですけど、消防はこの場所、警察はこの場所とか、基本はフロアを決めて活動していました。
聞き手
各職種で場所分けをされた中で、統括するリーダーのような方はいましたか。
吉岡さん
金沢の指揮隊が現場におられましたので、そちらで自衛隊や警察と協議して決めたと聞いています。
聞き手
救急の依頼はありましたか。
吉岡さん
病院への搬送もあったんですけれども、病院から病院、例えば、穴水総合病院から医科大や県立中央病院など金沢の方までの転院搬送という形でかなりの件数がありました。その時には、応援の救急隊に協力していただいたのですが、やっぱり道が分からないというのがありましたので、うちの職員をひとりずつアテンドにあてて活動したという形になります。
聞き手
外部からの応援では、どういう方が来られましたか。
吉岡さん
石川県内では、七尾から下の市町は全部来られました。それ以外には、緊急消防援助隊として、鳥取県隊の方や、大阪、京都、岐阜の救急隊、ポンプ隊がこちらに来られまして、救急の対応や水位の確保などに皆さん協力していただきました。
聞き手
そういった支援の方はどれくらい滞在されるのでしょうか。
吉岡さん
県外から来られた緊急消防援助隊は2月21日、県内応援隊は3月12日まで滞在されていました。また、一隊に対して、だいたい2日ないし3日で交替になるんですけども、遠いところですと、長くて1週間ほどで交替していたみたいです。
聞き手
外部の方との連携で困ったことはありましたか。
吉岡さん
救急隊の活動は、基本的に救急に資することと決まっていて、そのために動いていたということなので、そんなに困ったことはなかったかな。
やはり道が分からないということで、地元の消防士としては、やっぱりアテンドの役割が大きかったです。ナビをするための状況の把握が結構大変でした。
情報収集もなかなか難しくて、先ほどいたところが、余震で崩れて通れなくなったとか、土砂で道の段差がひどくなって通れなくなったということがあって、さっき通れたから行けるという状況ではなかったので、苦労したと聞いております。いつもでしたら10分で到着するところが一時間ぐらいかかったりしました。
金沢へ行く用事もあって、道も寸断されて、状態が悪かったので、往復に5時間ぐらいかかったとも聞いています。その後また帰ってきてすぐアテンドしていたので、かなり疲弊した感じになっておりました。
聞き手
民間の方との協力はありましたか。
吉岡さん
土砂災害の救助の際に「ここに人がいる」とのことで、一緒にがれきをどかしたことがあったと聞いています。そのほかに、消防団の方も地区住民の方と一緒に家屋から救出したりもしていたとのことです。
聞き手
余震も結構あったと思うんですけど、二次被害は大丈夫でしたか。
吉岡さん
余震は多かったですけど、幸い、穴水は火災もなくて、津波もなかったので、二次被害ということはなかったです。
聞き手
震災関連の消防の救助活動はいつまであったのでしょうか。
吉岡さん
穴水消防署管内では、1月8日までです。最後は土砂災害で行方不明になった方の救助だったのですが、8日に終わりました。
あとは、2月の終わりまで、水利点検や道路が寸断されていないかの調査にあたりました。火災が起きた時のことを考えて、穴水には、消火栓・防火水槽が合わせて436基あるんですが、そのうちどれが使えるか・使えないか、応援隊の方と協力して町内全体を回り、1つずつ調査しました。
聞き手
情報収集には紙を使っていたのでしょうか。
吉岡さん
インターネットは使えたので、実際に現地に行った情報をExcelに落と込んで情報共有しました。
穴水消防署の状況
聞き手
職員の方は、ずっと通しで働いていたのでしょうか。
吉岡さん
当日集まった職員が16名、最終的に、2日の15時には全職員が集まって、22名で対応したのですが、皆、しばらくは家に帰れず、署に待機していました。中には、2週間ずっと署に待機して、消防活動をしていた職員もいました。
ただ、さすがにずっと働きどおしでは厳しいので、適宜休憩しながら、順番を決めてローテーションで実施していたということになります。
聞き手
2週間ずっと消防署にいたということでしたが、活動が長期になってくると、疲弊して、ストレスもあったと思いますし、職員の方々のケアはどのように行いましたか。
吉岡さん
アテンドを何人か決めて交代で実施しました。アテンドから帰ってきたら「1時間でも2時間でもいいから横になって休んでくれ」という感じです。 興奮して眠れないという人もいて、「出て来なくていいから、少し部屋で布団に入って休んでくれ」という話をしたり、「今の状況はどうか、体調は悪くないか」と聞いたりしながら、ストレスケアをしてきました。
聞き手
震災があった時のマニュアルはあったんですか。
吉岡さん
震災マニュアルには「震度4以上の時は、自主参集して町内の情報収集に当たる」「震度5強以上の時は、消防団の方も動いて、情報収集に当たって活動する」「避難所の設営」という内容がありました。一応、消防署の2階が仮避難所みたいな形になるので、その対応をするという話はしていました。
聞き手
マニュアルが役立ったということでしょうか。
吉岡さん
そうですね。ただ、マニュアル通りに動けるかというと、なかなか難しかった。いろんな話を聞きながらマニュアルを作成していたのですが、やっぱり実際に地震を受けて、「この部分は直さないといけないな」「消防署にも簡易トイレなどの物資を保管しないといけない」というように、一度に人が集まった時の対応には課題がありました。
今回は、先ほど言いました「コメリ」や「どんたく」といった近くにあるお店の協力がありましたので、食べ物や衣服、ストーブをお借りして暖をとれたことがありました。けれども、それがなかった場合はどうするかということがありましたので、「応援協定を結んでいかなければいけない」という話はしています。
今後への教訓
聞き手
震災後、防災訓練の内容などに変化はありましたか。
吉岡さん
今まで、地区住民の避難訓練はありましたが、やはりリアルに体験していますので、「どこを避難所にするのか」「道路が寸断されていたらどうするのか」「どのような救助袋を持っておくのか」など、より細かいところまでの準備が増えていきましたね。
また、地元の消防団とのつながりは密になっていますので、話をしながら対応を考えています。今後は、消防団の方が災害時に必要だと思った器具などをリスト化してもらい配備していく予定です。
聞き手
今回の震災を踏まえての必要な備えや教訓を教えてください。
吉岡さん
震災が起きてすぐに人が参集するのは難しいということです。先ほど話しましたように、職員全員が集まるのに2日の15時までかかりましたし、県内の応援隊が来たのも、夜中の1時ですから、地震の発生から7~8時間後になります。それまでは少人数で対応していく必要があるので、何とか乗り切っていくために、どのように対応するか、役割分担や訓練が必要だと思います。
そして、県内の応援隊や緊急援助隊などが来られたら、その方々に任せて、現地の職員は疲労がありますので、休息をとり、ストレスケアをしていくことが、消防力の維持につながると思います。
震災からどんどん時間がたっていき、風化していくので、このような機会を通じて忘れないようにしたいです。記録に残すことはとても大切ですし、依頼があれば伝えていきたいと思います。
伝える
- 体験を語る
-
避難所・避難生活
-
七尾市矢田郷地区まちづくり協議会 防災部会元会長、石川県防災活動アドバイザー、防災士
佐野藤博さん
「これまで培った防災の知識を生かして、規律ある避難所運営につなげた」 -
(輪島市)澤田建具店
澤田英樹さん
「現場からの提言――避難所を「暮らしの場」に」 -
輪島市上山町区長
住吉一好さん
「孤立集落からの救助とヘリコプターによる集落住民の広域避難」 -
珠洲市蛸島公民館長 田中悦郎さん
「厳しい環境の自主避難所を皆さんの協力のおかげでスムーズに運営」 -
珠洲市正院避難所協力者 瓶子睦子さん、瀬戸裕喜子さん
「皆で力を合わせ、助け合って避難所を運営」 -
珠洲市宝立町区長 佐小田淳一さん
「高齢者も多い学校の避難所で感染症対応を実施」 -
珠洲市大谷分団長 川端孝さん
「通信の重要性を痛感しつつも、多くの方の協力のもとで避難所を運営」 -
珠洲市日置区長会長 糸矢敏夫さん
「難しい判断も迫られた避難生活を経て、地区のコミュニティ維持に努める」 -
珠洲市蛸島区長会長 梧 光洋さん 蛸島公民館館長 田中 悦郎さん
「想定にない大人数の避難に苦労した避難所運営」 -
珠洲市飯田区長会長 泉谷信七さん
「学校の運営にも配慮しながら、多くの方がいる避難所を運営」 -
珠洲市上戸町区長会長 中川政幸さん
「避難生活を通じて、防災の重要性を再認識」 -
珠洲市若山区長会長 北風八紘さん
「防災訓練の経験が避難所運営に生きた」 -
珠洲市直区長会長 樋爪一成さん
「想定と異なる場所で苦労しながらの避難所運営」 -
珠洲市正院区長会長 濱木満喜さん 副会長 小町康夫さん
「避難者・スタッフ・支援者の力を結集して避難所を運営」 -
珠洲市三崎区長会長 辻 一さん
「普段の防災活動が災害時の避難に生きた」 -
珠洲市大谷地区区長会長 丸山忠次さん
「防災士の知識も生かし、多くの方と協力しながらの避難所運営」 -
珠洲市大谷地区 避難所
坂秀幸さん
「孤立集落における自主避難所の運営に携わって」 -
珠洲市上戸区長
今井 真美子さん
「全国からの支援に支えられ、
防災士として避難生活をサポート」 -
珠洲市宝立町区長会長
多田進郎さん
「避難所の運営にあたって」 -
鹿頭地区区長
小橋敦郎さん
「想定100人の施設に300人:西浦防災センターの自主運営の実態」 -
領家町区長 山本政人さん、領家町区民 東澄江さん
「地域で守った避難所――領家コミュニティセンターの運営」 -
前福浦区長 能崎亮一さん、福浦公民館長 松井 正浩さん、福浦区長(前副区長) 濱村 大さん
「原発と海が近い避難所」 -
福井区長
前川悟さん
「区長が語る支援の光と影――やすらぎ荘避難所の現場から」 -
町居区長 村松弘之さん、熊野公民館主事 山古正美さん、谷神区長 相畑 毅さん、熊野地区会長 山本秀夫さん、日用区長 大瀧俊定さん、毅さんの奥様 相畑 美恵子さん、赤十字奉仕団委員長 山本洋子さん
「地域住民の力と支援者の力で乗り切った避難生活」 -
志賀町議会議員
堂下健一さん
「街の人だけの避難所」 -
地頭町区長
坂野満さん
「避難所と仮設住宅でのコミュニティの作り方」 -
兜公民館長(防災士)
濱中勲さん
「防災士の知識も活かして、避難所を運営」 -
比良地区区長(防災士)
坂尻忠秀さん
「地域のつながりを生かして避難所を運営」 -
上出地区区長
宮森正人さん
「皆で知恵を出し合って自主避難所を運営」 -
諸橋公民館館長
油谷清治さん
「避難所運営を通じて、最悪の事態を考えて備えることの重要性を認識」 -
能登町立高倉公民館長
田中隆さん
「避難所運営を経て、地域のつながりの大事さを再認識」 -
能登町防災士会会長
寺口美枝子さん
「防災士の知識が災害時に生きたと同時に、備えの必要性を改めて感じた」 -
白丸公民館長(当時)
神田幸夫さん
「白丸公民館における避難所運営を経験して」
-
七尾市矢田郷地区まちづくり協議会 防災部会元会長、石川県防災活動アドバイザー、防災士
-
行政
-
輪島市復興推進課(当時)
浅野智哉さん
「避難所運営・広域避難・交通復旧の実態と教訓」 -
輪島市上下水道局長(当時)
登岸浩さん
「被災後の上下水道の復旧とその体験からの教訓」 -
輪島市生涯学習課
保下徹さん
「災害対応・避難所運営の課題と連携」 -
輪島市環境対策課
外忠保さん
「災害時の環境衛生対応で感じた多様性への課題」 -
輪島市防災対策課長(当時)
黒田浩二さん
「防災対策課として、刻々と変化する状況への対応と調整に奔走」 -
輪島市防災対策課
中本健太さん
「災害対応と避難所運営の課題」 -
輪島市防災対策課(当時)
新甫裕也さん
「孤立集落対応の実態と教訓」 -
輪島市文化課長(当時)
刀祢有司さん
「文化会館での物資受け入れ業務と、文化事業の今後の展望について」 -
輪島市土木課長(当時)
延命公丈さん
「技術者としての責任を胸に、被災直後から復旧に奔走」 -
能登町職員
灰谷貴光さん
「様々な方の助けを受け、避難所運営という重責を担った」
-
輪島市復興推進課(当時)
-
消防
-
七尾消防署 署長補佐
宮下伸一さん
「道路の損壊をはじめ、過酷な状況で困難を極めた救助活動」 -
七尾消防署 署長補佐
酒井晋二郎さん
「不安や課題に直面しながらも、消防職員として全力で責任を果たした」 -
輪島消防署(当時)
竹原拓馬さん
「消火活動・救助活動の経験から職員一人ひとりの技術向上を目指す」 -
珠洲消防署 大谷分署 宮元貴司さん
「拠点が使えない中、避難所の運営にも協力しながら活動を実施」 -
珠洲市日置分団長 金瀬戸剛さん
「連絡を取り合えない中で、それぞれができる活動をした」 -
珠洲市三崎分団長 青坂一夫さん
「地区が孤立し、連絡も取りづらい中で消防団活動に苦心」 -
珠洲市消防団鵜飼分団長 高重幸さん
「道路の寸断など厳しい環境の中、救助活動に尽力」 - 珠洲消防署 中野透さん、源剛ーさん 「殺到する救助要請への対応と緊急援助隊の存在」
-
珠洲市若山消防団長
森定良介さん
「救助活動や避難所運営での苦労や課題、
災害への備えの重要性を再認識」 -
穴水消防団長
濱出泰治さん
「消防団が率先して動いたことで、避難所運営もスムーズに」 -
穴水消防署員
吉岡邦範さん
「避難者の皆さんの協力と緊急消防援助隊の応援のおかげで、消防としての災害対応に尽力できた」 -
能登町消防団副団長
金七祐太郎さん
「災害に備えて、「自分の命を守る力」を持つことの重要性を痛感」
-
七尾消防署 署長補佐
-
警察
-
医療機関
-
(七尾市)公立能登総合病院 診療部長
山端潤也さん
「令和6年能登半島地震の経験 ~過去の災害に学び 活かし 伝え 遺す~」 -
輪島病院事務部長(当時)
河崎国幸さん
「災害対応と病院の今後の地震対応にかかるBCP」 -
珠洲市健康増進センター所長
三上豊子さん
「支援団体と協力し、全世帯の状況把握や、
生活支援を実施して」 -
珠洲市総合病院
内科医長・出島彰宏さん、副総看護師長・舟木優子さん、薬剤師・中野貴義さん
「2人で立ち上げた災害対策本部と過酷な業務」 -
志賀町立富来病院 看護師・川村悠子さん、事務長・笠原雅徳さん
「物資だけでは解決しない~災害時のトイレに必要な「マンパワー」と「経験」~」 -
能登北部地域医療研究所(穴水総合病院内)所長
中橋毅さん
「被災地の医療を支えた穴水総合病院」 -
(能登町)小木クリニック院長
瀬島照弘さん
「能登半島地震における医療対応と教訓」 -
(能登町)升谷医院 院長
升谷一宏さん
「過酷な環境下で診療にあたり、多くの方の健康を支えた」 -
柳田温泉病院事務局長
野村清一さん
「設備が損傷し、人手も限られる中での入所者対応」
-
(七尾市)公立能登総合病院 診療部長
-
教育・学校
-
七尾市立天神山小学校長(当時)
種谷多聞さん
「今こそ、真の生きる力の育成を!~能登半島地震から 学校がすべきこと~」 -
珠洲市飯田高校2年生
畠田煌心さん
「ビニールハウスでの避難生活、
制限された学校生活、そんな被災体験を未来へ」 -
珠洲市宝立小中学校5年生
米沢美紀さん
「避難所生活を体験して」 -
珠洲市立緑丘中学校3年生
出村莉瑚さん
「避難所の運営を手伝って」 -
志賀小学校 校長・前田倍成さん、教頭・中越眞澄さん、教諭(当時)・岡山佳代さん、教諭・野村理恵さん、教諭・側垣宣生さん、町講師(当時)・毛利佳寿美さん
「みなし避難所となった志賀小学校」 -
能登町立柳田小学校長
坂口浩二さん
「日頃からの地域のつながりが、避難所運営の土台に」
-
七尾市立天神山小学校長(当時)
-
企業・団体
-
ボランティア
-
関係機関が作成した体験記録

