体験を語る
- 医療機関
能登半島地震における医療対応と教訓

| 場所 | 能登町 |
|---|---|
| 聞き取り日 | 2025年9月18日 |
発災直後の行動とBCP(事業継続計画)
聞き手
地震発生直後、どのような行動をとられましたか?
瀬島さん
海抜30mにある姫地区の自宅にいましたが、すぐに海抜5mのところにあるクリニックに戻りました。これは、令和4年に策定したBCP(事業継続計画)に基づき行動したものになります。
聞き手
BCPに基づき、クリニックでは何をされたのですか?
瀬島さん
まず、津波警報が出ている中で、クリニックの建物が医療を継続できるか、ダメージレベルを確認しました。その後、BCPの発動により、クリニックに保管してあった医療用の緊急バッグ(エマージェンシーバッグ)を取りに行きました。
聞き手
救護所はどこに設置されたのですか?
瀬島さん
医療資源が乏しい能登町小木地区で、指定避難所である小木小学校と小木中学校を確認しました。小学校は停電していたため、電気がついていて医療をしやすいような環境である小木中学校を救護所として開設すべきだと判断しました。
聞き手
救護所はどのように開設されましたか?
瀬島さん
避難所にいた町役場の職員に「救護所を作る」と伝えたところ、皆さんが協力してくれ、保健室からマットレスやパーテーションを持ってきて、体育館内に3畳ほどの救護所を作ることができました。
聞き手
BCPはどのような内容ですか?
瀬島さん
オールハザード(全災害)対応で、ダメージレベルに応じたアクションカードを作成しています。クリニックが被災しても、医師自身と医療資材という医療資源を動かし、医療を継続するための計画です。
避難所での医療活動と課題
聞き手
エマージェンシーバッグには何が入っているのでしょうか?
瀬島さん
心肺停止時の蘇生セット、気管内挿管セット、呼吸補助用のアンビューバッグ、アナフィラキシー対応の薬、緊急包帯などが入っています。これは、コロナワクチン集団接種会場でアナフィラキシー対応の準備がないことに気づき、BCP策定以前に独自に作ったものです。
聞き手
避難所ではどのような患者さんが多かったですか?
瀬島さん
超急性期の1日目から2日目の夜間は、切り傷や火傷などの外傷がほとんどでした。能登町は高齢化率が50%近い地域であるため、2日目から3日目にかけては、慢性疾患患者の持参薬の不足や、医療材料の不足などの相談が増えました。
聞き手
避難所の衛生環境と感染症の状況はどうでしたか?
瀬島さん
衛生環境は非常に悪かったです。発災直後から土足で入ってくる、床で休む人がいるなど、トイレや水が出ない環境下で800人規模の避難所となり、感染症対策の提言は2項目程度しか実施できていなかったと認識しています。 実際、コロナウイルス感染症が体育館内で蔓延し、2024年1月は最も多い新規感染者を診断しました。また、感染性の急性腸炎の患者数も、平時と比べて1月から3月まで非常に多かったという状況です。
医療・薬の情報と情報共有の仕組み
聞き手
発災直後、外部との連絡は取れましたか?
瀬島さん
1月1日の発災は正月であったため、職能団体や県、保健所に電話をかけても繋がらず、留守番電話になる状況でした。
聞き手
患者さんの薬の情報はどのように確認したのですか?
瀬島さん
クリニックでは自家発電と、光回線である能登町の有線テレビが生きていたため、インターネット環境を確保できました。これにより、災害時に開放された国のマイナンバーカードの資格確認情報閲覧機能を利用することができました。
聞き手
地域の医療機関では、資格確認端末の導入状況はどうでしたか?
瀬島さん
7件ある能登町内のクリニックは、ほとんどが資格確認端末を導入しているのではないかと思います。そのため、医療機関や調剤薬局へ行けば、緊急時の有事の際に閲覧機能のあるパソコンがあるはずです。
聞き手
資格確認機能は、医師であれば誰でも利用できるものですか?
瀬島さん
医師法や保険診療として認められているため、保険医療機関であればその環境にあります。しかし、DMATなど外部支援の先生方が、いきなり資格確認の端末を持って現地に入ってこられるわけではありません。
聞き手
マイナンバーカードがなくても情報は見られたのですか?
瀬島さん
マイナンバーカードがなくても、患者さんの氏名・生年月日・住民基本台帳に基づく住所を正確にパソコンに入力すれば、口頭同意を得た上で薬の情報を閲覧することができます。能登町では、この機能が1月1日から3月7日まで有効になっていました。
聞き手
医療機関は、この災害時の閲覧機能について皆さん知っていたのでしょうか?
瀬島さん
私は知っていました。実際にどこまで多くの医療機関や調剤薬局が災害時にこの機能を利用したかは分かりません。
聞き手
この情報確認の仕組みの利点は何ですか?
瀬島さん
データベースが国レベルであるため、帰省客や旅行客など、被災した地域住民ではない方の薬の情報も確認し、診療を継続できた点です。災害時の「自助・共助」の限界を補い、医療機関にかかったことのない人の情報も見られたため、非常に有益でした。
聞き手
救護所では、薬の処方はできなかったのですか?
瀬島さん
私は災害救助法に基づく災害医療チーム(DMAT、JMATなど)の一員ではないため、救護所で診療をしても保険診療にはならず、災害処方箋を切ることができませんでした。
災害処方箋とは、災害救助法に基づき、国が医療費を負担するためのもので、原則として発行できるのはDMATなどの組織に限定されます。
聞き手
厚生労働省からの事務連絡はどのように届くのですか?
瀬島さん
厚生労働省や県からの事務連絡は、主にファックスで送られてきます。そのため、ファックスが動かないと事務連絡を見ることができないという課題がありました。
聞き手
災害時、医療機関が行政と連携する上での課題は何ですか?
瀬島さん
行政と医療機関の間にホットライン(情報のネットワーク)を結ぶべきです。しかし、行政は「地方公務員法」などにより、民間の医療機関に物資や金銭を出すことには公平性の観点からハードルがあり、地域BCPを策定するといった地域での災害マネジメントの構築が難しい状況です。
平時に災害協定を明確に結び、有事の際のルールを定めておく必要性を痛感しました。
震災から得た教訓と提言
聞き手
今回の震災を踏まえ、一般の人がすべき備えは何でしょうか?
瀬島さん
最も必要なのは、自ら逃げるための「自助(セルフレスキュー)」です。また、阪神・淡路大震災のデータからも、救助の必要な人のほとんどが自助・共助で助かっており、発災直後の共助のためのつながりづくりが大切です。
食料、水などは「3日間で復旧する」という認識は誤りである可能性を考え、ローリングストックなどで備蓄をすべきです。
聞き手
今後の防災意識向上のために、何をすべきだとお考えですか?
瀬島さん
被災地は二度と災害は来ないという認識になりがちなので、防災意識を高めるための発信を、能登からモデル事業として行っていくべきです。行政や大学などとも連携し、地域BCPのモデルを構築し、発信していく必要があります。
聞き手
先生が考える「災害弱者」とは?
瀬島さん
今回の震災を経験し、被災者全員が「社会的排除」される素地があると考えました。例えば、避難所の体育館でコロナ感染が確定した人が、避難する場所である自宅を失っている場合、その人の逃げ場所がなくなってしまうといった現象です。
今後は、この「社会的累積的排除」を防ぐためのスキームを考えていく必要があると考えています。

伝える
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避難所・避難生活
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七尾市矢田郷地区まちづくり協議会 防災部会元会長、石川県防災活動アドバイザー、防災士
佐野藤博さん
「これまで培った防災の知識を生かして、規律ある避難所運営につなげた」 -
(輪島市)澤田建具店
澤田英樹さん
「現場からの提言――避難所を「暮らしの場」に」 -
輪島市上山町区長
住吉一好さん
「孤立集落からの救助とヘリコプターによる集落住民の広域避難」 -
珠洲市蛸島公民館長 田中悦郎さん
「厳しい環境の自主避難所を皆さんの協力のおかげでスムーズに運営」 -
珠洲市正院避難所協力者 瓶子睦子さん、瀬戸裕喜子さん
「皆で力を合わせ、助け合って避難所を運営」 -
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「高齢者も多い学校の避難所で感染症対応を実施」 -
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「通信の重要性を痛感しつつも、多くの方の協力のもとで避難所を運営」 -
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「学校の運営にも配慮しながら、多くの方がいる避難所を運営」 -
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「避難生活を通じて、防災の重要性を再認識」 -
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珠洲市三崎区長会長 辻 一さん
「普段の防災活動が災害時の避難に生きた」 -
珠洲市大谷地区区長会長 丸山忠次さん
「防災士の知識も生かし、多くの方と協力しながらの避難所運営」 -
珠洲市大谷地区 避難所運営者
坂秀幸さん
「孤立集落における自主避難所の運営に携わって」 -
珠洲市上戸区長
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「全国からの支援に支えられ、
防災士として避難生活をサポート」 -
珠洲市宝立町区長会長
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「避難所の運営にあたって」 -
能登町立高倉公民館長
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「避難所運営を経て、地域のつながりの大事さを再認識」 -
能登町防災士会会長
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「防災士の知識が災害時に生きたと同時に、備えの必要性を改めて感じた」
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七尾市矢田郷地区まちづくり協議会 防災部会元会長、石川県防災活動アドバイザー、防災士
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行政
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輪島市復興推進課(当時)
浅野智哉さん
「避難所運営・広域避難・交通復旧の実態と教訓」 -
輪島市上下水道局長(当時)
登岸浩さん
「被災後の上下水道の復旧とその体験からの教訓」 -
輪島市生涯学習課
保下徹さん
「災害対応・避難所運営の課題と連携」 -
輪島市環境対策課
外忠保さん
「災害時の環境衛生対応で感じた多様性への課題」 -
輪島市防災対策課長(当時)
黒田浩二さん
「防災対策課として、刻々と変化する状況への対応と調整に奔走」 -
輪島市防災対策課
中本健太さん
「災害対応と避難所運営の課題」 -
輪島市防災対策課(当時)
新甫裕也さん
「孤立集落対応の実態と教訓」 -
輪島市文化課長(当時)
刀祢有司さん
「文化会館での物資受け入れ業務と、文化事業の今後の展望について」 -
輪島市土木課長(当時)
延命公丈さん
「技術者としての責任を胸に、被災直後から復旧に奔走」
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輪島市復興推進課(当時)
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消防
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七尾消防署 署長補佐
宮下伸一さん
「道路の損壊をはじめ、過酷な状況で困難を極めた救助活動」 -
七尾消防署 署長補佐
酒井晋二郎さん
「不安や課題に直面しながらも、消防職員として全力で責任を果たした」 -
輪島消防署(当時)
竹原拓馬さん
「消火活動・救助活動の経験から職員一人ひとりの技術向上を目指す」 -
珠洲消防署 大谷分署 宮元貴司さん
「拠点が使えない中、避難所の運営にも協力しながら活動を実施」 -
珠洲市日置分団長 金瀬戸剛さん
「連絡を取り合えない中で、それぞれができる活動をした」 -
珠洲市三崎分団長 青坂一夫さん
「地区が孤立し、連絡も取りづらい中で消防団活動に苦心」 -
珠洲市消防団鵜飼分団長 高重幸さん
「道路の寸断など厳しい環境の中、救助活動に尽力」 - 珠洲消防署 中野透さん、源剛ーさん 「殺到する救助要請への対応と緊急援助隊の存在」
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珠洲市若山消防団長
森定良介さん
「救助活動や避難所運営での苦労や課題、
災害への備えの重要性を再認識」
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七尾消防署 署長補佐
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警察
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医療機関
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(七尾市)公立能登総合病院 診療部長
山端潤也さん
「令和6年能登半島地震の経験 ~過去の災害に学び 活かし 伝え 遺す~」 -
輪島病院事務部長(当時)
河崎国幸さん
「災害対応と病院の今後の地震対応にかかるBCP」 -
珠洲市健康増進センター所長
三上豊子さん
「支援団体と協力し、全世帯の状況把握や、
生活支援を実施して」 -
珠洲市総合病院
内科医長・出島彰宏さん、副総看護師長・舟木優子さん、薬剤師・中野貴義さん
「2人で立ち上げた災害対策本部と過酷な業務」 -
志賀町立富来病院 看護師・川村悠子さん、事務長・笠原雅徳さん
「物資だけでは解決しない~災害時のトイレに必要な「マンパワー」と「経験」~」 -
(能登町)小木クリニック院長
瀬島照弘さん
「能登半島地震における医療対応と教訓」 -
(能登町)升谷医院 院長
升谷一宏さん
「過酷な環境下で診療にあたり、多くの方の健康を支えた」
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(七尾市)公立能登総合病院 診療部長
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教育・学校
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七尾市立天神山小学校長(当時)
種谷多聞さん
「今こそ、真の生きる力の育成を!~能登半島地震から 学校がすべきこと~」 -
珠洲市飯田高校2年生
畠田煌心さん
「ビニールハウスでの避難生活、
制限された学校生活、そんな被災体験を未来へ」 -
珠洲市宝立小中学校5年生
米沢美紀さん
「避難所生活を体験して」 -
珠洲市立緑丘中学校3年生
出村莉瑚さん
「避難所の運営を手伝って」 -
志賀小学校 校長・前田倍成さん、教頭・中越眞澄さん、教諭(当時)・岡山佳代さん、教諭・野村理恵さん、教諭・側垣宣生さん、町講師(当時)・毛利佳寿美さん
「みなし避難所となった志賀小学校」 -
能登町立柳田小学校長
坂口浩二さん
「日頃からの地域のつながりが、避難所運営の土台に」
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七尾市立天神山小学校長(当時)
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企業・団体
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ボランティア
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関係機関が作成した体験記録

