体験を語る
- ボランティア
“何から始めればいいのか”から始まったセンター運営の記録

| 場所 | 志賀町 |
|---|---|
| 聞き取り日 | 2025年9月3日 |
ボランティアセンターの立ち上がりについて
聞き手
坂本さんは市役所の職員の方なのですか。
坂本さん
社会福祉協議会(社協)は、社会福祉法人という、役場とは独立した団体になります。
聞き手
社協が地震の際にどういうことをされたのかをお伺いしたいです。
坂本さん
社協では、災害ボランティアセンターを立ち上げたいという思いがあったのですが、自分たちだけではどうしようもありませんでした。事務所も自分たちの建物ではなく、借りている場所です。
なので、町長のところに伺い「ボランティアセンターを立ち上げたい」という相談をさせてもらって、その後1月3日から、場所の選定や、センターの立ち上げに必要なものの準備をしました。
聞き手
ボランティアセンターは3日に立ち上がったのですか。
坂本さん
最初に町の執行部と相談をしたのが1月3日、実際にいろいろ準備をしながら「センターを立ち上げます」と宣言したのが 1月9日ですね。
それから、センターの運営に必要な道具を揃えたり、運営を手伝ってくれるスタッフを集めたりして、実際にボランティアさんの受け入れを行ったのが1月26日になります。
ボランティアの募集は、石川県の県民ボランティアセンターを通じて、毎日何人募集というふうに呼びかけを行って、来てもらいました。
聞き手
ボランティアセンターを立ち上げるにあたって、ノウハウのようなものは元々あったのですか?
坂本さん
それが正直なところ、全然なくて。毎年、県と県社会福祉協議会が開催する研修には参加していましたが、いざやるとなると「何からすればいいんだろう」というのがあったんです。県社協や全国の社協、それから共同募金会といった方のご支援をいただきながら、なんとか設置にこぎつけました。
聞き手
設置するにあたって、まずどのようなことから進めましたか。
坂本さん
まずはセンターの場所です。ボランティアさんが来やすい場所で、しかも活動場所まで行きやすいところ。
町の北側の富来地域では地震の被害が大きく、公共施設はダメになっているか、もしくは避難所になっていて、センターは設置できませんでした。そのため、南の高浜町でまず設置することに決めました。
あとは、センターの運営の機材を、県社協と、県のボランティア対策本部から借りました。
聞き手
社協でのボランティア募集は、地震が起きた後で募集するのでしょうか。
坂本さん
そうですね。家の中で壊れたものを捨ててほしい、屋根に穴が開いたのでブルーシートを張ってほしいとったニーズを受けて、ボランティアさんを募集するという形になります。
ボランティア活動について
聞き手
センターを設立された9日から、実際に活動が始まる26日まで、ニーズを調査していたのですか。
坂本さん
10日から、民生委員さんに「ボランティアセンターを立ち上げました」という案内を地域の人に配ってもらい、ニーズを集めました。1月末時点では、285件の依頼がありましたね。
聞き手
依頼は、どのような内容のものでしたか。
坂本さん
最初は、不要になったものの廃棄、ブロック塀の撤去、屋根のブルーシート張りというのが多かったですね。あとは、灯篭の廃棄とか、壊れた神社の鳥居を片付けてほしいというのもありました。
最近は引っ越しのニーズが多いです。家に住めなくなって、仮設住宅に入っている方が、家から必要なものを持ってきてほしいというものや、仮設住宅から次の住居が決まったので、そこに荷物を運んでほしいといったものです。
聞き手
鳥居や灯篭の撤去のような作業も社協の方でされたのですか。
坂本さん
一般のボランティアの方では、なかなかそういう重たいものは運べないので、重機を扱える団体の方などに手伝ってもらいました。
4トン車とか大きな車を持ってきてくれて、そこにクレーンで本当に大きな石をつり上げて、荷台に載せて運んで、というふうにしていました。
聞き手
団体でのボランティアというのもありましたか。
坂本さん
ありました。最初、私たちお手伝いできますよって、いくつも団体が来たんですけど、知らない団体ばかりで、どこまで、何ができるのか、本当に頼ってもいいものか、あまり評判の良くない団体もいると聞いていましたし、すぐお願いしますとは言いづらかったんですよね。途中から、信用できる団体に依頼して、NPOや団体間の調整をしてもらったので、そこからはスムーズに動けました。
社会福祉協議会について
聞き手
ボランティアセンターはいつまで存在するのかというのは決まっているんですか。
坂本さん
閉鎖の時期についてはまだはっきり決まっていません。いま、富来の野球場が町の災害ゴミ仮置き場になっているんですけど、そこで一般の方からのゴミの受け入れが終わるまでは、ボランティアセンターの活動も続けないといけないかなと思っています。
聞き手
現在もボランティアの方々は来られているんですか。
坂本さん
今は、毎週金・土の週2日の活動にしていまして、募集すればだいたい依頼通りの人数に来ていただいていますね。
聞き手
大体何人ほど来られるのですか。
坂本さん
公募するのは10人から15人ぐらいです。その他に毎週来てくださる団体があって、5名前後ですね。
聞き手
そういうボランティアの方の善意に助けていただいている面も結構ありますか。
坂本さん
自分たちにはない目線といいますか、実際に支援に入って、こういうところも何かしてあげたらいいんじゃないの?という声をもらったりしています。
聞き手
例えば、どのようなものでしょうか。
坂本さん
片付けたらいいような家が、何も手つかずになっているとか、そういうのが多いですね。
やはり、震災のショックで、なかなか自分から声を出せない住民の方がいたりすると思うんです。頼んだら申し訳ないけど、自分では何もできなくて動けない、という状況の方をボランティアさんが見つけてくれたこともありました。
聞き手
ボランティアの依頼はどれくらいあるのですか。
坂本さん
8月25日時点で、3210件の依頼がありました。今も45件がまだ残っている状態です。
聞き手
現在も助けを求めている方の声があるということですね。
坂本さん
今年の3月ぐらいから大体40件前後でずっと推移していて、金曜日と土曜日で、ボランティアが入って作業を完了しても、月曜日から金曜日までの間にまた依頼が入ってくるという状況で、なかなか減らないです。
聞き手
依頼は、電話などで受付されているんですか。
坂本さん
ほとんど電話ですね。
聞き手
最近の依頼の内容は、さっきお話しされたような、引っ越しのお手伝いなどが多くなってきていますかね。
坂本さん
公費解体が進んできた影響だと思うんですけど、解体する日が決まったから、それまでに物を捨ててほしいとか、大事なものをどこかへ移動したいとか、そういう依頼がまだありますね。
聞き手
物の選別などもありますか。
坂本さん
あります。自分で捨てていいものなのか、残しておいた方がいいのか、判断できない方もいるので。そういう方には、ボランティアさんが何回も支援に入って、本当に時間をかけて寄り添ってもらっています。
聞き手
被災者のメンタル面でも、ボランティアの方はすごく心強い存在になりますね。やはり、経験があることで助かる面も多いですか。
坂本さん
いま、被災者の見守り活動みたいな形で、地域支え合いセンターという事業の中で、仮設住宅にいる人も家に住んでいる人も含めて、住民全員を訪問しています。昨年の7月から始めて、今年の8月25日時点で21000件を訪問しました。
訪問についてもノウハウがないので、研修会をして、どういうふうに接したらいいのか、訪問した後どう対応するのか、勉強しながら、訪問をしたり、イベントのお手伝いをしたりしています。
災害の復旧に関しては、災害ボランティアセンターと、地域支え合いセンターの2つがメインの活動になりますね。
避難所でのイベントについて
聞き手
先ほどおっしゃったイベントというのは、どういったものでしょうか。
坂本さん
仮設住宅でのお茶会とか、演劇、マッサージや足湯といった支援をしたいと言ってくださるボランティア団体がいるので、支え合いセンターに申込みをしてもらって、どこでやりたいか、何をしたいかを聞き取って、日時や場所を調整し、適切なところを紹介して行ってもらうという形です。
聞き手
避難所などでそうしたボランティアをしようと思った場合は、ボランティアセンターを通さないといけないのですか。
坂本さん
避難所があった頃は、ボランティアさんが直接避難所に行って支援をしていて、避難所の運営の方がそれぞれ対応していました。
ただ、町役場に入っていたアドバイザーの方から、誰かが一元管理した方がいいのではないかという意見もありました。食中毒を防ぐために、衛生管理を町としてやるべきということだったんですけど、残念ながら、そこまでには至らなかったです。そういうことをするにはちょっと遅すぎたというか。
ボランティアの管理について
聞き手
手作りのうどんなど、衛生管理が必要なものもありますよね。意見が出た時点で、そういう段階を過ぎていたということでしょうか。
坂本さん
一元管理できるかどうか、いろいろ考えたんですけど、例えば、この避難所にはこの団体が毎回来ます、こちらの避難所にはこの団体がいつも行っています、というように、避難所と支援団体との間に既に信頼関係ができていて、そこに第三者が入って調整しようとすると、その関係を壊してしまうのではないかというので、そのままの方がお互いにとっていいでしょうということになりました。
聞き手
別の地域では、愛知県にある市の職員がボランティアで来てくれたというお話も聞いたんですけど、それもこちらで受入れをされているんですか。
坂本さん
基本的にはこちらで受け入れをして、活動先を紹介するという形です。直接こちらに来ることもありましたし、志賀町役場に打診があって、役場から、こんな申し出があるけど、と紹介されることもありました。
聞き手
自衛隊のお風呂の設置などについては、何かされていましたか。
坂本さん
それは災害救助活動ということで、ボランティアセンターとしては、特に関わりはありません。
聞き手
ミュージシャンの方が来たこともあると思うんですけど、そういうのも町に申し出があるんですかね。
坂本さん
そうですね。
運営にあたって大変だったこと
聞き手
ボランティアセンターの運営をされてきて、大変だったな、苦労したなと思うことがあったら教えていただきたいです。
坂本さん
まずは運営するスタッフの人集めですね。うちの職員だけではとてもこのボランティアセンターを運営することができません。普段からボランティア連絡協議会という、志賀町でボランティア活動をしている方々の連絡会があったので、そこに声かけをして、ボランティアセンターでの受付業務を頼みました。皆さん快く引き受けてくれました。最初は10人ぐらい来てくれたかな。5人ぐらいはほぼ毎日のように来て、受付業務を手伝ってもらいました。
あとは志賀町商工会の青年部で、ボランティア活動に使った軽トラックなどの資機材の洗浄作業活動をしてもらいました。お店をやっている方が多くて、断水で飲食店が営業できないから手伝うよと言ってくれました。
企業からも、北陸電力にニーズ受付の電話対応の方を毎日1人派遣してもらいましたし、トヨタグループには、2月から3月いっぱいまで、毎日2名に手伝ってもらって、すごく助かりましたね。
最初は運営のスタッフをお願いしていたのが、ボランティアもしますよと言ってくれて、北陸電力は昨年の9月末まで、平日に毎日4人くらいで来てもらいました。トヨタグループも3月末までの間、毎日10名から20名が来てくれました。
他にも、MBSという会社から、スキャンしたものを拡大して印刷できる機械を借りたりもしました。
聞き手
企業のボランティアというのは、企業が持っている技術を利用するようなものですか。
坂本さん
特にボランティアに特化した人たちが派遣されてきたわけではない印象でした。志賀町に何らかの縁があって、お手伝いしていただいたのかなと。非常にありがたいです。
聞き手
愛子さまともボランティアのお話をされたんですか。
坂本さん
ボランティアセンターの運営に関して、実際にセンターの前で、活動前にはボランティアの方に説明をして、こういう道具を持って活動に行ってもらっていますというお話をさせていただきました。
ボランティアの方たちの様子について
聞き手
個人のボランティアはどのように活動するのでしょうか。
坂本さん
1人で活動することはまずなくて、何人かのグループで活動してもらっています。
聞き手
ボランティアのグループに入っている方もいらっしゃるんですか。
坂本さん
グループを作っているところはあります。愛知県のボランティアグループが、個人で来ているボランティアの方と一緒に活動して、うちのグループに入らないか?みたいな形で、メンバーが増えていくこともありました。
今ずっと来てくださっているボランティアのグループは、もともと母体が愛知県にあって、毎日支援に来てくださって、石川県の人も一緒になって活動していたんですけど、愛知県のグループが撤退した時に、石川県出身の人が自分たちでまた人を集めてグループを作っていました。
聞き手
逆に、個人の方が動きやすいという方もいらっしゃいますかね。
坂本さん
いると思います。グループに入ると、自分のやりたいことができないというのもあるので。
聞き手
地震が起きてからすぐ来ていただいて助かった面もあるんじゃないでしょうか。
坂本さん
1人、新潟から来てくれたボランティアの方が、ほぼ毎日のように入ってくれていたんですよ。元々は消防士で、技術もしっかりしているし、信頼できるなと思って職員に採用しました。ただ、その方は、4月末で辞めました。
運営する中でのやりがい
聞き手
ボランティアセンターを運営して、嬉しかったこと、やりがいを感じたことをお伺いしたいです。
坂本さん
やりがいは、やっぱり依頼のあった方からありがとうと言われた時ですかね。多分ボランティアの方もそれが1番の励みになっていると思います。
県外から毎週来るボランティアの方もいます。皆さん、志賀町以外にもいろんなところ、輪島や珠洲にも行っていたと思うんですけど、ボランティアの中で居心地のいい場所がその人にあるのか、志賀町だったら志賀町ばかり、輪島なら輪島ばかりという風にだんだんとなっていったのかなという感じはしますね。自分たちよりも志賀町の食堂のメニューに詳しい方もいました。
地震後の状況について
聞き手
地震があってから、3日にボランティアセンターの立ち上げの話が出るまでは、どんな風に過ごされていたんですか。
坂本さん
発災当初、自分は地元の消防団として、地区の高台にある、廃校になった小学校へ避難してくる人の誘導などをしていました。
断水していたので、仮設トイレを集会所の横に用意してもらって、そのトイレに水の補充をしたり、地区内の道路でブロック塀が崩れたり、瓦が落ちたりして車が通れないところを片付けたりもしました。
聞き手
消防団の方は地震が発生してすぐに活動をされたんですか。
坂本さん
町から、地区内の状況を報告してくださいという依頼もありましたけど、その前から独自に動いていたと思います。
聞き手
そうした動きはマニュアル化されていたんですか。
坂本さん
みんな自主的に動いていましたし、おそらくマニュアル化はされていなかったんじゃないかなと思います。
聞き手
どちらの地区でしょうか。
坂本さん
西海という、海のそばの漁師町です。西海丸というお寿司屋があります。
いまは、イカ釣りの船がいっぱい泊まっています。東北や北海道からも来ているのかな。
聞き手
以前、自分たちが参加したボランティア活動で、飲み物を冷やすための氷をもらいに行ったんですけど、結構ブロック塀が倒れていました。
坂本さん
西海地区は下が岩盤なので、比較的被害は少ない方かと思います。でもやっぱり解体する家も結構ありますね。
聞き手
避難誘導をされたとき、家から出てこられていない方はいらっしゃいましたか。
坂本さん
そこは地区の区長さん、班長さんで確認はしていたと思います。ただ、避難を促してもうちにいるという方も多分いたんじゃないかな。
聞き手
港も近くにありますし、津波の警報もあったと思うんですけど、いかがですか。
坂本さん
津波は怖かったですね。自分の家が海抜3mぐらいのところにあるので、ハザードマップでは海の底になるんですよ。やばいなと思っていました。幸い自宅の浸水はなかったですけど、家のそばにあった近所の方の車は水没しました。
県の動きについて
聞き手
県職員の方と話をした時に、二十数年前の能登半島地震の時にもだいぶ混乱したということを言っていました。ボランティアの受け入れに対して、県からの指導などはあったのですか。
坂本さん
災害ボランティアセンターに関する研修を、県主催、県社協主催の年2回やっていました。研修を受けても、いざやるとなると大変でしたね。
聞き手
県への希望とか、今後の知見に生かせるようなことがあればお聞きしたいです。
坂本さん
県に対してお願いしたいのは、広域的な視点での支援です。
原則として、応急危険度判定で黄色や赤の紙が貼られたお宅、り災証明で半壊以上のお宅にはボランティアは入れません、ただし、安全確認ができれば入ってもいいですよとなっています。じゃあその安全確認を誰がするのか?となるんですね。県にも要望して、1日だけですが、確認できる方2人に来ていただいた。
聞き手
全然足りませんよね。
坂本さん
はい。そのまま要望し続けるんですけど、なかなか調整がつけられなくて。大工さんとか建築士さんといった建築関係の方々を普段から把握しておくことはできないのかなとその時思いました。それも、石川県だけで組織しても、結局その方も被災者になってしまう。もっと県外から応援を呼んでもらえる体制づくりがあったらいいなと。
聞き手
確かに建築士会でも本当に大変な状態だったと聞いてはいるので、やはり数が圧倒的に足りないですね。
坂本さん
うちでは独自に地元の大工さんへお願いして、謝礼も払う形で見てもらっていました。
やっぱり自分たちの目線では分からないので。自分は同行しなかったんですけど、同行した者は、大工さんから、この家は入っていいとか、この家、自分は入れるけどあなたは来てはダメと言われながら、状況を確認していました。
聞き手
組織的に人を集める役割は、県の方が得意かもしれませんし、各県に要請して集めてもらうのは大切なことですね。
坂本さん
建築以外でも、災害救助法に基づく事業として、被災された高齢者がどのような状況にあるかを把握する、被災高齢者等把握事業というのがあるんです。介護福祉士や介護支援専門員、社会福祉士とか、高齢者を対象にした仕事の方々を集めて、訪問活動をしていました。いろんな災害の種類があると思いますし、災害によってどのような役割の方が求められるのか、多岐にわたると思うので、そういうところの組織化を進めていただければ、ありがたいなと思いますね。
国からの支援について
聞き手
ボランティアの方が毎週実費で来られると相当なご負担になると思いますが、そのあたりは何か支援はあるんですか。
坂本さん
団体でしたら、交通費、高速道路料金やガソリン代は補助があります。ただ、原則五人以上の団体となっていますので、個人で来られる方は補助が受けられない。高速道路は地元の証明がもらえれば無料で通れますけど、どうしてもガソリン代は自己負担になってしまいます。
聞き手
今後の課題と考えてもよろしいですかね。
坂本さん
ボランティアの高速道路の無料措置も、熊本地震の経験を基に、今は少し簡素化されたので、今後も制度がいいように変わっていけばいいなと思います。
業務の中で工夫したこと
聞き手
通常の業務を抱えながらの震災対応となると、かなり大変だったんだろうなというのは想像がつくんですが、何か特別工夫されたこと、苦労されたことはありますか。
坂本さん
最初は災害ボランティアセンターの運営一色といいますか、通常業務はほぼ中止でしたね。センターの運営にあたって、全国社会福祉協議会が調整して、全国から社協の職員に応援で入ってもらいました。
志賀町には、最初は近畿ブロック、大阪の社協から派遣されて、2人が5日交代で来ていました。その後は、四国と東北、北海道の社協から、最大で1日13人の方に来てもらいました。
東北ブロックから応援に来られた方にニーズの掘り起こしを提案されたんです。始めの頃はまずボランティアの依頼を受けたら、どういう内容なのかを聞き取りして、実際に現場に行って確認するんですね。その上で、じゃあ何人必要かな、どういう道具がいるかなというのを判断しますけど、そういうことに慣れてくると、今度は依頼がなくても、こちらから訪問して、何か困っていませんか?という風に質問するようにしました。
聞き手
いろんなパターンの情報を持っていれば、困りごとも想定できますね。
坂本さん
なので、そういうふうに動きつつ、昨年の7月1日から支え合いセンターを立ち上げて、生活支援相談員という、訪問する職員も、当時は12人を新規に雇用しました。
聞き手
その支え合いセンターっていうのは、元々社協でやられていた活動とは全く別のものですか。
坂本さん
志賀町社協では、今までアウトリーチという、こちらから出向いて何かやるという形のものが少なかったので、全く新しい取り組みのような感じでやっています。
聞き手
今後も、できるだけきめ細やかに支援していくような感じで考えているんですかね。
坂本さん
そうですね。やはり声を出せない方もいらっしゃるので、こちらから行って、何かお手伝いできることがあれば、という形の支援が大切です。

伝える
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避難所・避難生活
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制限された学校生活、そんな被災体験を未来へ」 -
珠洲市宝立小中学校5年生
米沢美紀さん
「避難所生活を体験して」 -
珠洲市立緑丘中学校3年生
出村莉瑚さん
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坂口浩二さん
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七尾市立天神山小学校長(当時)
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企業・団体
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ボランティア
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関係機関が作成した体験記録

